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2003・10・11 日本社会科教育学会ウエッブサイトを利用した経済学習の試み−「e-教室」一年の実験から−5 ケーススタディ「脱ダム宣言のキカイヒヨウ」(1)どのような議論がなされたのかこの問題は,「今月の問題」のなかの第六回の問題である。その最初の問いかけとその後の展開は以下のツリーのようになっている。参考に最初の問いかけと,議論の広がりを実際の画面からコピーしておく。
この問いかけは,(161)時事問題を素材にして機会費用について考えてもらおうとするところからスタートした。しかし,リンクのタイトルの流れを見てもらえばわかるように当初は,まず脱ダム宣言そのものに関心を持たせることができなかった。したがって,角度を変え,(162)日常生活の中に機会費用がどのような場面であるかを問いかけた。それに対して,(163)キカイヒヨウという言葉そのものに対する疑問が提示された。 その疑問に対しての回答(164)(165)に対して,(168)「少しわかってきました」との回答が寄せられた。その間,別の担当者からヒント(167)「悩んでいる人のために」が出され,それへの回答として中学生の参加者から回答が寄せられ(169),話題が一歩進んだ。 これを見て,(171)「時間泥棒に奪われたものは?」と別の角度からの問いかけがおこなわれた。 これには(172)(177)と二人からの回答が寄せられた。そのやり取りの中に,小学生の参加者から(179)「機会費用って?」という再度の疑問が出され,それに共感する書き込みなどがあるなかで,「チョコレート工場の秘密」という本の話に話題が広がってゆく。これは(201)で一応の終止符がうたれたが,一つのテーマから話題が枝葉のように広がるこの教室でのやり取りを象徴するような発展であった。 次に議論が展開するのは(184)の問いかけからである。これは次のようになっていた。 モモを小学生で読んでいる。すごいぞ。キカイヒヨウという言葉も中身も難しいよね。でも,普段あまり自覚していないだけで,実は私たちの身の回りにいっぱいあるものなんですよ。 例えば,モモネさんは,本が好きなようですが,本を読むと面白くて時間の過ぎるのをわすれてしまうことが多くはないかな? でも本を読んでいる時間をほかのものに使ったらいろいろできるでしょう。 そのいろいろできるなかで本を読むことの次にやろうとおもったこと(実際には本を読んでできなかったこと)をお金に換算したのがキカイヒヨウなんです。経済ではお金に換算するけれど,実際の生活ではいちいちそんなことはやりませんがね。 だからキカイヒヨウを考えることは,自分にとって一番大切なことはなにか,次に大切なことは何か,またその次は・・・というように,自分の優先順位を決めることなんです。だから,難しいのかもしれません。さて,モモで時間泥棒が奪ったもの。時間とこころ,ですよね。こころが奪われるとどうなるか,床屋さんがいい例ですね。 この床屋さん,だれかの姿に似ていませんか? これもちょっと難しいけれど,考えてみてください。考える価値があるとネコ先生は思っているんですけれど,ひょっとすると,ネコ先生のこの質問も時間泥棒かな? この質問に対する回答(190)は以下のようであった。小学生の書き込みである。 私はまだうまくかけなかったことがあります。 それは、床屋さんは決して仕事嫌いではなかったということです。どうしてかというと、床屋さんは、髪を切っている相手と話をしながら仕事をするのが好きなのです。それを時間の無駄だからということで時間どろぼうが、話す時間を取ってしまったのです。 ですから、「人が変わった」と言われるようになったのです。つまり床屋さんは時間どろぼうに無理矢理きかいひようの方に考えさせられたのです。優先順位をお客さんの心よりさきにお金の方にしてしまったのです。 もう一つの回答(191)は以下のようである。こちらは中学生の書き込みである。 床屋さんは自分の仕事は好きなんだ。お客さんと話をしながら楽しく仕事するのが。 でも床屋なんだから、だまって髪を切ればいい。お客さんと話をしているその時間を時間どろぼうにとられたんですね。 解かりました。「モモ」読んだこと無いです。ゴメンなさい。 う〜ん。床屋だけに限ると髪だけ切って他のサービスはしないけど(シャンプーとか)早くて料金は安いっていうのが忙しい人に人気みたいです。 (僕も髪は早く切ってもらいたいなぁ〜) 「モモ」の床屋さんの場合だと,床屋さん本人もお客さんもお金よりゆっくりした時間を選んだんですね。 というものであった。その後の展開は(173)で大人の参加者より「生協の宅配」の話題がだされそのやり取りのツリーが続く一方,(189)逸失利益と機会費用という高度な問題が話題となった。そして,最後に(202)で「キカイヒヨウのまとめ」でこのテーマは終了した。スタートが7月23日,終了が8月11日であるから,約3週間の議論である。 (2)この議論の特徴 この間の議論をまとめると以下のような特徴が浮かび上がる。 その第一は,参加者の多様性である。教室そのものは対象を中高生に絞ってスタートしているが,実際の議論に参加したのは,下は小学四年生から上は経済には素人である数学者まで多様であった。 実際の学校の授業が均質な年齢集団を対象にするのに対して,この教室の多様性は話題の広がりや理解の深さという点でもかなり多様な展開をしたといえるだろう。それが,一方では,生協の宅配の機会費用や逸失利益に関する議論になり,他方では『モモ』を素材とした時間泥棒が奪ったものというおよそ経済とは一見縁のない話題からの接近となったと言えよう。 第二は,機会費用という,主流派の経済学では重要概念であり,アメリカの経済教育では基本的な概念として小学生から体系的にとりあげられている概でありながら,現在のわが国の学校教育では取り上げられていない概念を,正面きってとりあげた議論となったことである(NCEE2000)。 報告者はかねてより機会費用概念の重要さを主張してきており,教室の中でも授業実践を続けたり,放送教材の作成に関してアドバイザーとして番組に協力してきたが(新井1997,2002),それをウエッブサイトのバーチャル授業で取り上げることにより,概念習得がどのようになされるのかのプロセスを明らかにすることができたのではないかと言えよう。 そのプロセスは,まず機会費用という初めて聞く,ないし自覚的に振り返ったことのない概念が投げかけられたことによる戸惑いからはじまり,何度かの質問,回答を繰り返すことにより次第に理解がふかまってゆく過程であるといえよう。そして,小学生,中学生,社会人とそれぞれのレベルで機会費用概念を「私なりに」「そうなんだ」という形でマスターしてゆく過程であった。 第三は,その習得過程での問いかけの多様性である。 多様な対象の「生徒」に対して一律な問いかけはできない。当初の「脱ダム宣言」は明らかに対象をあやまった問いかけであった。それに気づくと次は,もっと一般的な問いかけにする。それでも疑問がでる。その疑問に対して報告者を支える協力者の一人が助け舟を出す。 それが一段落すると,次に「生徒」読んでいるであろうと推定される本を素材にして,別の角度からの問いかけをする。 大人の「生徒」からの別の問題提起には,そのレベルでの回答とさらに問題を深めるような指示を出す。この多様な角度からの問いかけで,はじめての概念である機会費用の理解が進んでゆく。学習に際しての問いかけの重要さと臨機応変さの必要性がここから浮かび上がる。 |
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