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月刊『資本市場』平成17年2月号 掲載原稿投資教育と株式学習ゲーム東京都立西高等学校 新井 明 4 性急な投資教育は逆効果筆者の株式学習ゲームに生徒を取り組ませるときのキーワードは,「発見すること」である。つまり,何かを教え込むことは必要最小限にして,自分がゲームに参加することで何かを発見することを期待して授業を展開している。もちろん放任ではなく,時々にはヒントを入れたり,確認の作業をさせたりする。しかし,基本は自己責任の世界である。この方法がすべての学校で適用できるとは限らない。発達段階もあろうし,生徒の置かれている環境,学力などのファクターも大きい。しかし,幸いに,このやり方は生徒には受け入れられて,成果はすこしづつあがっていると判断している。 よく,マスコミの取材で「ゲームをやって,いまトレーダーになっているような卒業生はいませんか?」と聞かれることがある。筆者はこの種の性急な結論や要求を出すことが一番危険だと考えている。 それは,教育の成果は長期でなければ分からないということが一つであり,もう一つは,学校文化のハードコアを変革するには慎重さと戦略が必要だと考えるからである。 いま証券業界だけでなく,金融庁や日本銀行を中心に金融投資教育への熱い視線が注がれている。1400兆円の個人資産をいかに流動化させるか,グローバル競争時代に自己責任が強調される時代に,従来型の間接金融による構造から直接金融の比率を高めたいという政策的要求は十分理解できるものがある。だからこそ,投資家を育てるという短期的,直接的な目標を前面に出すことには慎重であって欲しいと思うのである。 教育には,今ここにある危機に対応するための短期の目的で行わなければならないものと,人間形成という長期のものとがあると筆者は考えている。経済教育に関して言えば,前者は消費者教育に相当するだろう。カードの使い方が分からない,ローンとクレジットの異同が分からないという生徒を社会に送り出すことは学校として無責任きわまりない。それに対して,自己責任で投資を行う人間を育てるのは長期の目標になるはずだ。なぜなら,証券は投資であり投機ではないからである。もちろん,証券にも投機的側面が強くある。それは否定できない。株式学習ゲームも短期の売買を助長するする面をもっている。その面を強調することは,無用な反発を招くだけでなく,教育効果を半減させてしまうと筆者は考えている。なぜなら,長く個人のなかで生きる知識や技能を生徒が獲得するのは,自分が体験して半ば意識的に,半ば無意識に身に付けるものだけなのである。そういう知識や技能の開発が内臓されている株式学習ゲームを体験させるチャンスを生徒に与えることは,実は日本の学校文化へのラディカルな変革の一歩をすすめていることになっているのである。それに自信を持って欲しいと思うのである。 |
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2007 © Akira Arai |