第5回 谷川俊太郎氏Interview

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第5回 谷川俊太郎氏 × 泉美智子

詩人、文筆業。1931年生まれ。父は哲学者の谷川徹三(1895-1989)、長男はピアニスト/作・編曲家の谷川賢作氏。

17歳ごろから詩を書き始め、1952年、21歳のとき処女詩集『二十億光年の孤独』でデビュー。 詩だけで、絵本、童話、作詞(『鉄腕アトムテレビ主題歌』、 1962年レコード大賞作詞賞受賞作『月火水木金土日のうた』など)、映画制作にもかかわる。

「谷川俊太郎(たにがわしゅんたろう)氏を尋ねて」

谷川さんは「詩人」という、俗事とは隔絶された世界に生きていらっしゃるように、私のような凡人には思えるのですが。

詩人のことをカメレオンという人もいますが、 確かにそういう側面があることは否定できません。 要するに、詩人は「いたこ」なんですよ。

作品を詩人と重ねてみるから、 「詩人は夢の世界に生きているのではないか」と思われるのでしょうが、 それは誤解というか、読み手の先入観なのですよ。 詩は嘘八百のフィクションと考えた方がいい。

谷川さんはお忘れかもしれませんが、20年ほど前、『レモンをお金に変える法』というアメリカの経済絵本の日本語訳が出版されたとき、先生は背表紙に推薦の言葉を寄せておられます。その中で「私も夢みていた絵本です。『やられた』と思った」とおっしゃっておられましたが・・・

覚えていますよ。
当時は、そのような絵本のことを、認識絵本と呼んでいました。 私も、経済の絵本を書きたいとずっと考えていましたが、 なかなかいい方法が浮かばず、難しいとあきらめかけていた、 ちょうどそのころ、この本に出会ったのです。 絵本というのは、まず読み手である子どもがピンとくるもの。 文字と絵のバランスを考えながら、15ページ程度で完結させる。 そして、現実をキチンと伝えないといけない。 そこのところが私にとっての難問だったのです。

要するに、私には専門的な経済の知識がない。知識がないとひらめかない。 私の場合、経済学の知識が乏しかったためにあきらめざるを得なかったのです。

私も子どもたちに経済を学んでもらいたいと、親子を対象に講演や執筆活動続けています。日本では、お金のことを子どもに教えることを否定的に考えている大人がまだまだ多いのですが、私はキチンと教えて、将来、お金で失敗しない大人になってほしい、と願いつつ活動を続けています。ところで、子どもの教育のためには、お母さんのセンスというか、お母さんと子どものかかわり方が大切だと思います。谷川さんはお母さんはどのような方だったのですか。

お金のこと、経済のしくみをキチンと教えることはとても大切なことだ、 と私もかねがね思っています。お金のことだけでなく、母親という存在が、 子どもに与える影響は大きいですよね。私の母親「長田多喜子」という女性が、 どういう人物だったかというと、洗礼は受けていないのですが、 キリスト教の影響は受けていたと思います。 そして夫、すなわち私の父親にベタ惚れでしたね。 一人っ子の私はとても愛されて育ちましたから、生きるのが楽でした。 そのおかげで、当時の日本の多くの若者のように、コミュニズムに走ることもなかった。

では、青年の頃の谷川さんはどのようにお過ごしでしたか。

詩人になるきっかけは、18歳のときです。 それまでは詩にはまったく興味がなかったんですが、 友人にすすめられて書き始めたんです。 その頃、幸運にも商業誌に詩が紹介されて、原稿料をもらいました。 そこでお金をもらったのです。詩を書いて、お金になることに驚きました。

「詩」と「経済」は結びつかないと、私は勝手にイメージを持っていましたが、「谷川俊太郎」という詩人の原点は、原稿料だったのですね。では、谷川さんにとっての「生きがい」とはなんでしょうか。

今、こんな絵本を翻訳しているんです(原作の絵本を見せていただきながら)。

ストーリーはこのような内容です。 ネコが、親友のイヌに贈り物をしたいと考えています。 ところがイヌはなんでも持っていて、欲しいものがなんなのか、 探しあぐねていました。 挙げ句の果てに「そうだ”なにもない”をあげよう!」と思いつきました。 プレゼントを贈る日になって、中身のない空っぽの箱をわたしたところ、 イヌは、箱を開けてびっくりしました。そこでネコは言いました 「”なにもない”をあげます。あなたと私のほかにはなんにもない・・・」

私が今訳しているこの絵本、今年のクリスマスの頃に書店に並ぶはずです。 私にとって「豊かさ」とは、本来無一物(本来、空(くう)であるから 一物として執着すべきものはなく、 一切のものから自由自在になった心境をいう)ということばがあるでしょう、 その理想ですね。小さな小屋のようなところに住んで、 余計なものを削って、本当に必要なものだけが身の回りにある、 そんなふうに生きたいですね。なかなか実現しませんけど。

【インタビューを終えて】

朝から雨が降り続く6月の初め。私の事務所から歩いて15分、谷川さんのお宅をお訪ねしました。 通していただいたお部屋で、ぬれた手提げバックをハンカチで拭きながら待っていると、 「雨の中をごくろうさま」とおっしゃりながら、部屋に入ってこられました。約一時間、お話をうかがい、 こんなに満たされた気分を独り占めするのはもったいないな、とうれしさの笑みをこらえつつ傘をさしました。 帰る道すがら、ルソーの「わが子を不幸にしたければ簡単だ。 ほしいものをほしいというがままに与えればいい」ということばをふと思い出しました。

※ このインタビュー記事は、リロクラブの情報誌「F・U・N」に連載されたものに加筆・修正したものです。