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2002 日本社会科教育学会自由研究発表

ディベート学習の可能性と限界

東京都立国立高等学校  新井 明

5.ディベートの可能性と限界

 では,ディベートのよさを生かしながら問題を突破するには何が必要か。

 筆者は,ディベートの可能性に関しては楽観的である。これも実証ぬきで言えば,ディベート確かに「生徒を変える」し,「授業を変える」。社会認識も確実に深まる。そもそも講義型授業では得られない参加意識,自分で問題を分析し,論理を組み立て,それをもとに論戦をすることによるさらなる認識の変化を経験する。その点はこの間の実践で十分確信できる。

 価値ディベートに関しても,クローンの是非を扱ったディベートや死刑の是非では,生徒の熱気が伝わるディベートを経験したことがある。しかし,もう一歩踏み込んだ論題には,慎重であった。それは,報告者自身がいのちの問題に対してどのように扱ってよいかが揺らいでいたからである。「死が恰好の教育内容として現れた」というようには扱えないと思っていたからである*(13)。ロールプレイ性があり,実存をかけた論戦をしなくともよいというディベートであっても,生徒のこころのゆれを掬いとることが可能かというおそれをいだいていたからといってよい。大学生のディベートの結果は,そのおそれを確証したといえよう。

 ということは,ディベートの論題の決定には相当な慎重さが必要であろうということである。特に,価値ディベートではそれが言えるということである。論者のなかには,「価値に関するディベートは,情報量というよりむしろ問題の内包する価値観と論理の展開が重要となるので,限られた時間内に少ない情報量で行う教育ディベートにおいては適している」という論もあるが,いくら「価値ディベートにおいては,政策や問題の価値観を論ずるのであって,個人の価値観の優劣を論じるものではありません」といったとしても,問題は残るのである*(14)

 では,価値ディベートは行ってはいけないか。そうも言えない。問題は,ディベートで教える立場をとればよいのであって,論題に対して,どれだけ教員側が細心の注意を払いながら扱っているか,また,生徒をディベートに持ち込むまでにどのような手立てを行っているか,ディベート後にどれだけフォローをしているかなど,教員サイドの指導によって十分な可能性を持つといえる。一番避けたいのは,答えのない深刻な問題を生徒に投げかけ,ディベートをやらせ,生徒が動いたで,一丁上がりとするディベート授業なのである。そのおそれをディベートがますます導入されるであろうこの時期に確認しておきたいのである。

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ディベート学習の可能性と限界

  1. 1.はじめに
  2. 2.ディベート教育最盛期?
  3. 3.ディベートでしてよいこと・悪いこと
  4. 4.出生前診断を巡るディベートのもたらしたもの
  5. 5.ディベートの可能性と限界
  6. 6.おわりに
2007 © Akira Arai