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  1. けいかも

  2. 子どもと家族で考える。経済ってなんだろう?
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2002 日本社会科教育学会自由研究発表

ディベート学習の可能性と限界

東京都立国立高等学校  新井 明

4.出生前診断を巡るディベートのもたらしたもの

 そのディベートは,指導を依頼されたある講義のなかで行われたものだが,大谷氏の問題提起を踏まえつつも,あえて「命の問題」に関してのディベートを実施したものである。テーマは「出生前診断」,その詳細は紙数の関係で省略するが,注目したいのは,次のディベートを実際に行った学生の感想である。一つは,否定側にたった学生の,「ダウン症の子どもにも会ったことがない私がこんなことを論じてよいのかという一種の罪悪感を持ちました。冷静であれとおもっていても,熱くなってしまうのが自分でもわかりました」という感想である。もう一つは,肯定側に立った学生の「私の妹は医療ミスで左手が動かなくなってしまったのですが,そこから私の家族は一変しました。・・障害は個性というひともいるけれど,私はそんな風には思えません。否定側の人は感情論でせめてこられたので,やっぱりな,と思いましたが,感情論への反発はしにくかったでです」という感想である。

 順序が逆になるが,ディベートそのものは,グループを学生どうしで作らせ,テーマを設定させたが,なかなか決まらず,この時は私のほうでテーマを指定した。サイドは任意に決めさせたので,特に肯定的意見の持ち主が肯定側になったわけではない。また年齢や所属の違う学生集団であったので事前の意見調整は十分とれたわけではない。

 さて,上記の二つの感想から何が浮かび上がるか。一つは,ディベートの持つ効果である。問題に主体的に取り組む,そして自分の問題として考える,それが「熱くなる」というところに現れる。この側面に注目すれば確かに「生徒が変わる」「教室が変わる」。二つ目は,それとは逆の効果である。ディベートは冷静な判断や,意思決定能力を育てる要素をもっているはずなのだが,「感情論でせめる」ことがディベートでおこったのである。三つ目は,テーマそのものの問題性である。出生前診断といういのちにかかわるデリケートな問題をディベートにかけることにより,様々な感情のゆれを引き起こした。肯定側の学生は,おそらくそれまで表に出さなかった家族の痛みをはじめてさらしたのではなかろうか。また「罪悪感」を表明する学生もでてきている。ということは,ディベートにふさわしいテーマ,逆に慎重を要するテーマがあることが浮かび上がる。

 これらの反応から,実証ぬきの結論,ないし仮説を出すとすれば,ディベートには大いなる可能性があるが,ディベートにはなんでもありではなく,特に価値ディベートに関しては慎重を期する必要があるのではないかということである*(12)

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ディベート学習の可能性と限界

  1. 1.はじめに
  2. 2.ディベート教育最盛期?
  3. 3.ディベートでしてよいこと・悪いこと
  4. 4.出生前診断を巡るディベートのもたらしたもの
  5. 5.ディベートの可能性と限界
  6. 6.おわりに
2007 © Akira Arai